播州網干の禅僧、盤珪永琢の教義は不生禅としてあまりにも著名である。また、その教義は民衆教化のための歌謡として残されたことでも広く知られている。そのひとつは盤珪自作と言われる歌謡の「うすひき歌」で、もうひとつは盤珪の思想を聴聞した人が歌謡化したとされる「麦舂歌」である。本稿はそのうち後者の「麦舂歌」に焦点を合わせて、その基礎的問題について検討を加えるものである。The doctrine of Bankei Youtaku, the zen priest of Aboshi in the Edo era, is too famous as Fushou zen. Besides it is well known that the doctrine was sung as two kinds of kayo songs to enlighten the people. One is "Usuhiki-uta", which was written by Bankei himself. The other is "Mugitsuki-uta", which was written by the man who had listened to Bankei's doctrine. This report is the basic research of the latter, "Mugitsuki-uta"
『当麻中将姫和讃』は現在大阪教育大学小野恭靖研究室所蔵の和讃資料一冊である。この和讃は大和国当麻寺伝来の曼荼羅の縁起にかかわるもので、中将姫伝説に基づいて創作されている。この和讚が注目されるのは、従来...
百人一首の歌仙絵は類型的だと見られているが、近世初前期においては混沌としていた。その証拠として新出の『百人一首手鑑』(近世初前期成立) を例示したい。本書の最大の特徴は、四人の院が僧体で描かれているこ...
江戸期の浄土宗では念仏によって三毒の煩悩が滅するかどうかについて論争が交わされていた。それに関する記録を纏めたのが、『念佛三毒滅盡不滅盡之諍論筆記』である。そこには、増上寺第十二世源誉存応、黒谷金戒光...
江戸時代に一休の名を冠した一連の道歌集が創作、出版された。道歌は宗教的または道徳的な教訓を読み込んだ和歌で、狂歌に近い性格を持っている。そのため書名には「狂歌」と銘打つものも多い。筆者は一休に仮託され...
近世(江戸時代)民謡の最大の特徴は、その教訓的内容にあると言ってよい。それらのうちの多くは、児童向けに親への孝を説いた歌謡で占められる。このような内容の歌は一般的には儒教的道徳によるものと受け取られる...
遊行女婦の特殊な歌表現の質を見出したく、取り上げたのは無名の遊行女婦の巻8・一四九二歌である。「成り」「花」は、女の結婚にからむ譬喩として使われる言葉である。亡妻挽歌 (巻19・四二三六~七歌) を誦...
本稿で取り上げる『逆修説法』は法然が逆修法会において行った講説の聞書である。そこで説かれる「孝養父母」の講説は『観経釈』や『選択集』より詳しくなっている。この事について、中原親子の関係を踏まえる法然の...
短歌形式の文学のひとつに道歌(どうか)と呼ばれるものがある。道歌は宗教的または道徳的な教訓を読み込んだ和歌であるが、むしろ狂歌に近い性格を持つ場合も多いと言える。筆者は道歌に関心を持ち、既に『道歌心(...
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の〝おもちゃ絵〞の歌謡資料である『新板小供うたづくし』を影印と翻刻によって紹介し、当該資料の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時...
江戸期に刊行された道歌集のうち、堀原甫の編になる『念仏道歌西之台』(天保一二年〈一八四一〉刊・めとぎ屋幸助版)と題される一本が存在する。この書は仏教信仰のうち、浄土教信仰の理念に基づいた一二〇首(凡例...
『濤花集』は上冊と下冊の二冊あり、昭和四年発行の刊行物である。そして、その頃に行われた展覧会か何かの大型判の図録であろうと思われる。内容は、平安時代や鎌倉時代の古筆の印刷であり、手鑑風に作られたもので...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
井原西鶴の武家物の第二作『武家義理物語』(貞享五・一六八八年正月刊)巻三の二が「約束は雪の朝食」である。現在も京都に残る詩仙堂の主であり、寛永期を代表する文化人としても知られる石川丈山をめぐる逸話を中...
古筆切として伝残された仏教歌謡資料の伝称筆者としてもっとも著名な人物は法守法親王である。法守法親王は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて仁和寺に住した門跡で、能筆で有名な伏見天皇の孫、同じく後伏見天皇の...
日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録...
『当麻中将姫和讃』は現在大阪教育大学小野恭靖研究室所蔵の和讃資料一冊である。この和讃は大和国当麻寺伝来の曼荼羅の縁起にかかわるもので、中将姫伝説に基づいて創作されている。この和讚が注目されるのは、従来...
百人一首の歌仙絵は類型的だと見られているが、近世初前期においては混沌としていた。その証拠として新出の『百人一首手鑑』(近世初前期成立) を例示したい。本書の最大の特徴は、四人の院が僧体で描かれているこ...
江戸期の浄土宗では念仏によって三毒の煩悩が滅するかどうかについて論争が交わされていた。それに関する記録を纏めたのが、『念佛三毒滅盡不滅盡之諍論筆記』である。そこには、増上寺第十二世源誉存応、黒谷金戒光...
江戸時代に一休の名を冠した一連の道歌集が創作、出版された。道歌は宗教的または道徳的な教訓を読み込んだ和歌で、狂歌に近い性格を持っている。そのため書名には「狂歌」と銘打つものも多い。筆者は一休に仮託され...
近世(江戸時代)民謡の最大の特徴は、その教訓的内容にあると言ってよい。それらのうちの多くは、児童向けに親への孝を説いた歌謡で占められる。このような内容の歌は一般的には儒教的道徳によるものと受け取られる...
遊行女婦の特殊な歌表現の質を見出したく、取り上げたのは無名の遊行女婦の巻8・一四九二歌である。「成り」「花」は、女の結婚にからむ譬喩として使われる言葉である。亡妻挽歌 (巻19・四二三六~七歌) を誦...
本稿で取り上げる『逆修説法』は法然が逆修法会において行った講説の聞書である。そこで説かれる「孝養父母」の講説は『観経釈』や『選択集』より詳しくなっている。この事について、中原親子の関係を踏まえる法然の...
短歌形式の文学のひとつに道歌(どうか)と呼ばれるものがある。道歌は宗教的または道徳的な教訓を読み込んだ和歌であるが、むしろ狂歌に近い性格を持つ場合も多いと言える。筆者は道歌に関心を持ち、既に『道歌心(...
本稿は近時、大阪教育大学小野研究室蔵となった新出の〝おもちゃ絵〞の歌謡資料である『新板小供うたづくし』を影印と翻刻によって紹介し、当該資料の位置付けを行う論考である。おもちゃ絵は江戸時代末期から明治時...
江戸期に刊行された道歌集のうち、堀原甫の編になる『念仏道歌西之台』(天保一二年〈一八四一〉刊・めとぎ屋幸助版)と題される一本が存在する。この書は仏教信仰のうち、浄土教信仰の理念に基づいた一二〇首(凡例...
『濤花集』は上冊と下冊の二冊あり、昭和四年発行の刊行物である。そして、その頃に行われた展覧会か何かの大型判の図録であろうと思われる。内容は、平安時代や鎌倉時代の古筆の印刷であり、手鑑風に作られたもので...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
井原西鶴の武家物の第二作『武家義理物語』(貞享五・一六八八年正月刊)巻三の二が「約束は雪の朝食」である。現在も京都に残る詩仙堂の主であり、寛永期を代表する文化人としても知られる石川丈山をめぐる逸話を中...
古筆切として伝残された仏教歌謡資料の伝称筆者としてもっとも著名な人物は法守法親王である。法守法親王は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて仁和寺に住した門跡で、能筆で有名な伏見天皇の孫、同じく後伏見天皇の...
日本の中世の巷間を彩った室町小歌の代表的集成としては『閑吟集』『宗安小歌集』「隆達節歌謡」の三書がある。ところが近年、これに次ぐ第四番目の集成が出現した。昭和六十一年に東京神田の古書肆玉英堂の売立目録...
『当麻中将姫和讃』は現在大阪教育大学小野恭靖研究室所蔵の和讃資料一冊である。この和讃は大和国当麻寺伝来の曼荼羅の縁起にかかわるもので、中将姫伝説に基づいて創作されている。この和讚が注目されるのは、従来...
百人一首の歌仙絵は類型的だと見られているが、近世初前期においては混沌としていた。その証拠として新出の『百人一首手鑑』(近世初前期成立) を例示したい。本書の最大の特徴は、四人の院が僧体で描かれているこ...
江戸期の浄土宗では念仏によって三毒の煩悩が滅するかどうかについて論争が交わされていた。それに関する記録を纏めたのが、『念佛三毒滅盡不滅盡之諍論筆記』である。そこには、増上寺第十二世源誉存応、黒谷金戒光...